STORY 01
森博多織の創業期 〜明治・大正・昭和〜
時は、文明開化の鐘が鳴る明治。日本の制度や習慣が一気に西洋化し、人々の暮らしや価値観が大きく変わる時代に始まった、四代に亘る森博多織の物語。そこにあったのは、「挑戦の系譜」、そして「人への想い」でした。
初代・森 竹次郎が創業したのは明治29(1896)年。都市部を中心に人々は和装を手放し洋装化が進んでいました。鎌倉期に生まれた伝統を誇る博多織も、大きな転換点を迎えます。〝強く締まりがよい男帯〟として江戸武士の人気を博していた博多織でしたが、和装離れの波を受け大ピンチ。藩による保護制度もなくなります。
帯に刀を差す武士がいなくなった。さて、誰に帯を売ろう?
しかしこのピンチは、誰もが業界に自由に参入できるチャンスでもありました。新たな挑戦の場を求めて、博多の町には多くの織屋がひしめき合います。竹次郎もまさにその一人。
博多商人たちには勝算もちゃんとありました。男性の洋装化は公務員を始め着々と進みましたが、人口の多くを占める農民や女性たちは、まだほとんどが和装。時代の変化に合わせて、博多織の帯は、実用的な男帯から〝装飾的な女帯〟へと市場を変えていくことになります。
もともと竹次郎は「二口(ふたくち)」の屋号で家業の廻船問屋を営んでいました。ですが、兄弟は別の商売に乗り出すなど、森家は元来、進取の気性に富んだ一家。加えて竹次郎の粋を好む性格と相まって、森家は廻船問屋から博多織屋へと、看板を掛け替えたのです。追い風とはいえない時流に浮きつ沈みつ、竹次郎は何とか時代の波を乗り越え、二代目・茂にタスキを繋ぎます。
因みに、竹次郎が奮闘していた頃の福岡市は、電話・自動車・市内電車・飛行機が次々と登場するなど、まさに目まぐるしく文明が開花し続ける町でした。
茂が後を継いだのは昭和15(1940)年。戦争の時代でした。
茂も出征していたため、本格的に事業に取り組んだのは復員後。地域の人々を雇用し、一心に事業に邁進しました。そしてこの頃、社名をそれまでの『森竹次郎』から『森博多織』に改めています。心機一転、敗戦から立ち上がろう。先代から自分、さらには次代へ受け継いでいこうという、若き二代目の決意が感じられます。
日本の復興は急速に進み、戦後10年が経った昭和30(1955)年頃から、神武景気を皮切りに高度経済成長の大波がやってきます。とにかく真面目で働き者だったという茂と従業員たちは、その波を着実に乗りこなし、昭和35(1960)年に自動織機を導入、昭和42(1967)年には工場を新設するなど、森博多織の基盤を固めていきました。